その日の前に 重松 清
[ 投稿日時 ] 2021/1/21 15:42
[ カテゴリ ] 読書
読書習慣、順調です!!
今回は今年5冊目にして、暫定ナンバー1ともいえる感動作をご紹介させていただきます。
その日の前に 重松 清 著
家族の余命を知らされた経験を持つ人はどれぐらいいるのだろうか?ふと、そんなことを考えました。この本を読みながら、当時のことがリアルに思い出されてくる。今でも、ほんのたまに、「なんでお母さんは死んだんやろか・・」「もし生きてたらどうしてるんやろか・・」って思うことがあります。中でも一番、思い出されること。当時、自分は大学2回生。母が体調を崩し、病院に通ってたことは知っていました。そして父から聞かされた母の余命宣告。病気はガン。父から聞いた時、自分がどのようにふるまったかは思い出せない。でも、本人に告知をしていなかったので、気丈に振る舞いながら母に接していたことは今でも覚えています。でも、どうしても涙が止まらない時がありました。ちょうど亡くなる1か月ほど前かな?一時帰宅してた母。大学生活=アメリカンフットボールだった僕が、
母に気を配るわけではなく、リビングで普通にアメフトのビデオを観てたときのこと。確か、観ていたのは関学vs立命館のリーグ戦の試合の録画。試合終盤までもつれたとても良い試合でした。そのとき、嗚咽とは言わずとも、シクシクと泣く声ような声が背中から聞こえてきました。振り返ってみると、母が涙をこらえるように「また、アメフトの試合見にいきたかった・・」恐らく自分の寿命が少ないことを悟っていたんでしょうね。。その時だけは何も答えることができず、そして気丈にふるまうこともできず、ただその時が過ぎるのを待って一人で涙を流しました。この小説は、余命宣告を受けた本人、そして家族を描いたもの。過去の自分を重ね合わせながら読みました。上記の回想はほんの一場面。いろんな思い出がよみがえりました。そして、妻を亡くした父親の苦労に改めて思いをめぐらせました。今、自分が同じ「父親」という立場になり、余計にその苦労が身に染みてわかる気がします。でも父親は至って明るく振る舞い、僕と姉と3人の生活を支えてくれました。
きっと僕ら姉弟には言えないような心の葛藤があったはず。高齢になった父親はまだまだ元気です。そして、姉と僕はそれぞれ家族を持ち、父は5人の孫に囲まれています。天国のお母さんはどんな風に見守ってくれてるのだろうか?本来ならおばあちゃんになってる歳ですが、僕にとっては普通の中年のおばちゃんの笑顔のままです(笑)きっとそのままの穏やかな笑顔で見てくれてると思います。お母さんが生きたくても、生きれなかった今日という日を日々大切に過ごしていきたいですね。