「振り返りの記録」の投稿一覧

社会人生活の振り返り⑤【上昇気流(1998~1999)

[ 2025/4/26 12:19 ]

土曜日って結構、忙しい日が多いのですが、今日はのんびり過ごさせていただいてます。

みなさん、連休の準備なんでしょうかね~。
まっ、そんな土曜日もよいかな。

恒例の30分ウオーキングから帰ってきて、ブログ更新です。

今日も社会人の振り返りを。

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回 【阪急ブルーインズとの出会い

第四回 【人事異動(1998)】


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がむしゃらに営業に走る毎日。


でも、それは今、思うと

「営業」

と呼べるほどのものでなく、


単なる、お客さまの「御用聞き」程度のものだったと思います。


自分の会社のストロングポイント

だったりとか、

よく言われる「自分の強み」


そんな風に分析さえ行わずに、

ひたすらお客さまのところに通って、

頭を下げる、

いわば「お願い営業」。

まあ、それはそれで当時においては仕方なかったのかもだけど、

もし今、同じ営業を今の自分がするとしたら、

もっと色んな工夫ができるような気がします。


これは「たられば」って言うんでしょうね(笑)


仕事は内勤時代とはうってかわって多忙を極めつつあったけど、

そんな生活の中での楽しみが、


週末の遊びとフットボール。


同じ寮に住んでた、同期の竹内 剛と石塚 康一郎。

その2人とは本当によく遊んだ思い出があります。


剛にいたってはブルーインズの同期でもあったので、

本当に兄弟のように行動してたような気がします。


夏なんかは、深夜に車で寮を出て、

海に遊びに行き、

精一杯遊んだ後、昼すぎには海を後にして、

夕方からフットボールの練習。


今、思うととてつもない体力、そしてバイタリティがあったように思えます。


また、その頃には、剛の学生時代からの後輩であり子分的な向 和久が

ボクと同じ支店に配属され、そしてブルーインズにも加入。


後にチームを引っ張る彼を含めて有望な新人が多数加入。


まだまだ、上のリーグを目指すには程遠かったものの、

どこか可能性を感じるチームになりつつあったのもちょうどその頃だったと思います。


仕事もプライベートも順調そのものに思えましたが・・。


昔で言うと、

「そうは問屋が卸さない・・・」(笑)


ボクに試練が待ち受けてました・・・。


今日はこのへんで。
 

社会人生活の振り返り④【人事異動(1998)】

[ 2025/4/19 10:59 ]

桜の見ごろは終わったけども、暖かくて過ごしやすい季節になってきました。みなさまいかがお過ごしでしょうか?

今日も、連載の社会人の振り返りを。

よろしくお願いいたします。

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回【阪急ブルーインズとの出会い

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フットボールから話戻って会社の話。

新入社員当時、

僕の名前、「越野」を

なぜか「磯野」と間違う先輩がおられ、それを発端に、

なぜか、社内でのあだ名が

「カツオ」(笑)


ただそのニックネームも浸透せず、その会社にいた頃だけのあだ名に(笑)


ただ、今でも当時の会社関係の人と会えば、

「カツオ」と言われます。


なんか不思議な感じですね。


さて、いたって単調な仕事を日々繰り返す毎日。

会社の売上とか利益。


そんな意識はまったくなく、ひたすらに目の前に与えられた仕事をこなすだけ。


よく、こんなで大切なお給料もらってたな・・と今になって気づくこと多し。

すみません、阪急交通社さん。。。


パソコンのブラインドタッチのみ飛躍的に向上。


今の仕事にものすごく役立ってるので、どこでどう自分の経験が役に立つかはわからないものですね。


ただ、そんな時期に少しづつ、少しづつ、社内の越野に対する評価が囁かれるように・・・

「あいつは営業向きだ」


そこには何の根拠もない。

身体がデカイ?声がでかい?


その程度でしか会社に存在価値を示すことのできない当時の僕。


そういった風潮が後押ししたのか・・・。



ついにその日がやってくる。


そう、営業課への異動。


1年ほどの通関課での仕事に別れを告げる。


配属されたのは同じ神戸支店の営業課。


ただ、同じ支店と言えど、拠点は三宮の事務所。


仕事の中身はともかく期待しました。


「いよいよ神戸の都会での仕事!!なんか格好エエやん!」


思いっきり期待は裏切られました・・・。


三宮のひとつ大阪よりの駅。「春日野道」より徒歩5分。


それならまだ言いのですが、なんと事務所は高架下の
仮設のような事務所・・。

「おいおい・・」


そこには8名ほどの営業の人がデスクを並べ、眉間にしわを寄せながら
電話対応や書類作成にいそしんでおられました。


同じ支店ということで、まったく知らない人ではなかったので、
特に違和感なく営業課での生活がスタートしました。


先輩社員に同行して、お客さま周り。

そこで営業のノウハウを吸収。


木村さんという先輩がとても親切に教えてくれました。

以後、フィリピンに駐在したと聞いてますが、今どうしておられるんだろう・・。


2週間ほどの同行期間を経て、晴れて独り立ち。


車を与えられて、お客さま周りが始まりました。


世間話しか出来ないダメ営業マン。

でもはじめはみんなそんなんかもしれませんよね。


今の時代でしたら、すぐに結果を求められるのかもしれませんが・・・。


今だから言えますが、適当に仕事を終えて、神戸の第一突堤あたりに
車を停めて昼寝をしたものです(笑)時効ですね。


お客さまと話すのもキライではない。


適当にサボれる。


営業。決して悪いところではないな・・・。


なんて思ってましたが、事務所に帰ると、

それはそれはつらいんですよね~。


みんなとりつかれたからのようにパソコン向かって仕事をしたり
上司に報告したりしてるのです。


夕方6時。


前の内勤のときには、そろそろ帰ろうかなって時間だったのが、

その事務所にとっての夕方6時は、いよいよエンジンかける前の段階って
感じでした。


誰も帰らない・・・。


となると僕も帰れな~い。


パソコンに向かって、仕事をしたフリをすることがどれだけ
多かったことか・・。


今まで寮の談話室の番人だったボクも、

ついにテーブルに残された寮母さんの作ってくれた食事を
独り寂しく食べることが多くなりました。


でも、そんなハードな営業課での仕事も

ほんの序章にすぎず・・。


とんでもない状況に自分が進んでいきました。


今日はこんなところで。

 

社会人生活の振り返り③【阪急ブルーインズとの出会い(1997)】

[ 2025/3/29 13:55 ]

月曜日から金曜日までお休みを頂戴しておりご迷惑をおかけしました。

息子の中学の卒業旅行ということで、北海道へ行ってきました。

息子の希望で
「スノーボード&グルメの旅」って感じでしょうか?

そちらはまた追々、投稿しようかな。

さて、今週も社会人の振り返りをご紹介します。

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

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ビジネススキルが乏しい・・


という現実に気づかされるも、比較的、順風満帆?に進みだした社会人生活。


特に大きなストレスを感じることなく、(アル中の上司対策を除く)

日々が過ぎていきました。


気持ちにちょっとしたゆとりができたのかな・・


「フットボール、社会人でもやろうかな・・」


そんな思いに。


ちょうど、その頃、大学のアメフトの同期のお誘いもあって、

社会人リーグ(現在のXリーグ)のチームに見学に行きました。


1部リーグのチームということもあって、

アメフトが決して優秀ではない、自分が・・との思いもありつつも、

せっかく誘ってもらったので、ということで入部しようと心に決めてました。


ただ、そんな時に、阪急グループのチームである

「阪急ブルーインズ」

に所属しておられた、大学アメフトの大先輩、平山先輩が

突然、僕の寮までお出でになられました。


自分の後輩がグループ会社に入社した。


そんな情報を掴まれたのでしょうね。


寮の近くにお住まいだったということもあってか、トレーニングウェアを
身にまとい、ランニングでこられた姿は今でも忘れられません。


「越野、一緒にアメフトやろうや!」


それだけでした。


後に知る、平山さんの熱さ、そして人を惹きつけるカリスマ性。


その時も、なぜか心惹かれるものがあり、ブルーインズに入部することを決めました。


後に回想すると、ブルーインズは自分の生活に大きな影響を与えるものとなりました。


もしブルーインズに入ってなければ、もしかしたら会社も辞めてなかったかもしれない・・。


そうなれば、今の友人とも、強いては自分の今の家族にも出会えてなかったかもしれない・・。


そう思うと、平山さんの存在は僕の中では偉大で、
今でも感謝の気持ちでいっぱいです。(ご本人からすれば単なる、後輩の一人だと思いますが・・・)


そんな動機を経て、入部した阪急ブルーインズ。


当時は2部リーグ(2ブロック制)の中位ぐらいのポジション。

リーグ全体で見れば10番手ぐらいのチームだったと思います。


後にクラブチームとして門戸が開かれますが、当時はグループ企業の社員のみで、
形成されるチームでした。


練習はというと、メンバーの多くが不定休の百貨店勤めだったため、
平日の夕刻に行ってました。


場所は昔の江坂カーニバルプラザにあるグラウンド。


そこに、がんばって早く仕事を切り上げ、スーツ姿で集まってくるわけです。


練習の開始には2、3名でも、きづけば20人以上のメンバーが揃ってくるわけです。


同じグループ企業内のメンバーということで、非常に結束力が高いチームだったと思います。


また、僕の入部した年は同期メンバーが多く、また、学生時代1部でプレーしていたメンバーも
多かったせいか、チームの側からすれば「新人豊作の年」だったと思います。


学生時代にはコーチもいて、マネージャーもいて、いわば全てがお膳立てされた
フットボール。

自分が与えられた責任を何とかして果たすことに全力投球をしていました。


ただ、その江坂のグランドで出会ったブルーインズのフットボールはまったく別のものでした。


フルタイムのコーチがいるわけでなく、全て選手が考え、そして実践するフットボールでした。


それが良いか悪いかの議論はさておき、とても新鮮な環境でもありました。


また、新人であっても、常に意見を求められ、その意見を尊重してくれる。
そんな風土があったのは「ブルーインズのチームが持つ歴史と温かさ」だったと今になって思います。


さらには、学生時代はライバルとして戦った相手と社会人になって同じチームでプレーできる。


そのようなチームに魅力を感じ、どんどん惹き込まれていくようになりました。


今日はこんなところで、

せっかくの回想録なので、

仕事のことと並行して、フットボールのことも綴っていこうかなと・・。


最後まで「無理のない程度」でお付き合いくださいませ。

社会人生活の振り返り② 【直心寮(1997~1999)】

[ 2025/3/17 16:01 ]

ヤバい。。毎週、土曜日定期更新を目標に掲げながら早速にサボってしまってました・・

こういうところですよね。大切なこと。

本日は、第二回の更新となります。
(この記事は2015年のブログを転載したものになります)

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

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パソコンがまったく使えない・・・。

そんな前途多難の中、始まった社会人生活。


日々の仕事はひたすらパソコンと向かい合って

通関書類の作成。


そして税関検査の立会い。


不思議なもので、毎日、多くの時間をパソコンと向き合ってると
タイピングも早くなっていくものですね。


今、こうやって高速で話をするかのようにブラインドタッチでスムーズに
タイピングできてるのはこの新入社員時代の学びの恩恵といっても過言ではありません。


先輩社員に恵まれ・・・。


いや、確かに恵まれていたのですが、唯一厄介な存在が・・。今だから暴露できますが・・。

U係長。

酔拳を使う猛者!

冗談はほどほどに。


まさしく、あれは「アルコール中毒」だったんだと思います。


顔を赤らめて仕事をしてることしばし。

よく上司に注意を受けたこともあったのですが、上司も注意しきれない理由があって。


仕事が出来るんですよね。


あの人に救われた通関業務、数知れずだったと思います。当時は。


グッと我慢し、そのU係長に仕えていたのですが、

一度だけオフィスでキレたことが。


「酔っ払って仕事する人と一緒にできませんよ!!」って。


思わずシーンとなりましたね。


本来、そんなことがあれば、とんでもない仕打ちを受けそうなんですが、

想像に反して、結構、U係長から好かれていたようです(笑)


後で出てくる寮に晩方、いきなり酔っ払った姿で現れたときは驚愕でした。


そんな人間関係を抱えながら、送った新入社員時代。


幸いにも通関業務というのは税関あってのお仕事なので、ある程度
時間が決まってました。


そのため、比較的早い時間に仕事を終え帰路につく日が多かったように思えます。


そして、実家(島本町という大阪のはずれ)と六甲アイランド。

ちょっと通勤がしんどい・・

ということもあって、会社の寮に入ることになりました。


西宮。阪神競馬場の近くですね。

「直心寮」

と言われる会社の寮がありました。


よく、「まごころ寮」なんていわれることがありましたが、


違います、よく見てください。

「じきしんりょう」

と呼びます。


そこはまさしく昭和な雰囲気で、

寮母さんがおられ、いつも美味しい料理を食べさせてくださいました。

ボリューム満点の料理は食べ盛り?の僕にとっては最高のものでした。


そこで生活を共にし、生涯の親友とも思える2人との出会いがありました。


竹内 剛

石塚 康一郎


あとでこのサラリーマン生活を振り返ったとき、この会社で得たもの
で一番大きかったのはこの2人を含めた仲間だと今でも思ってます。


学生の延長のようなノリでアホなことをいっぱいしました。

アメリカに一緒に旅行にも行きました。


そして、マジメ君な僕は会社と寮の往復。

寄り道できる環境になかったってのが正直なところですが。


いつも寮の談話室のソファーにふんぞりかえって、

彼らの帰宅を待ってました。


そして、遅くに帰宅した彼らと一緒に、会社であったことや、
プライベートなことを夜遅くまで語らう日も少なくありませんでした。


気づけば、揃ってうたたねをしてたこともしばし。


同期の2人以外にも、

先輩、後輩と過ごす日々は面白おかしく、今思えばすごいよい環境に
いたなあ~って思います。


今は残念ながら、その寮はありません。

一緒にみんなで記念撮影でもしておけば良かったなあ~って思います。


このご時勢。多くの会社が寮などの資産を売却する傾向にありますが、

寮という存在が目には見えない大きな価値を生み出す場所で
あるということを訴えたいですね。


今日はこんな感じ。


次回は僕のその後、20年近く関わることになる、

「ブルーインズとの出会い」

について。

社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

[ 2025/3/8 12:13 ]

何かにいざなわれるかのように、自分が書いた過去のブログを読んでみました。

その中で、とても興味深く、そしてのめりこんで読んだのが、
自身が社会人になってからを回顧するブログ。

その記事自体は今から10年前の2015年に書かれたもの。

学校を卒業してからの軌跡がつづられています。

決して、褒めれられた文章でもなく、人目に触れると恥ずかしさもあるのですが、とても自然体で書かれているんです。

今、ブログを書いていても、どうしても見られ方だったり、体裁だったりを気にしている自分がいます。

でも、当時書かれたものは、本当に自分に対して素直で、今振り返って読んでもすっと心に落ちてくるし、当時の光景がよみがえってきます。

今は、自社のブログですが、当時は無料ブログを使ってました。

せっかくなので、この自社ブログに加筆・修正を加えて転載をしていき、そして2015年以降の「振り返りの記録」も追加していきたいなあ~と思います。

更新頻度は毎土曜日を目標に行きたいと思います。

過去ログを見ると、2015年までで28回の連載になっていましたので、それなりのボリュームが出るかなと。

自己満足的な内容が多い。おそらくほとんど・・

そんな内容になりますが、興味のある方はぜひご覧になってください。

第一回は
【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】になります。

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「海外で働くチャンスのある会社」に。
そんな漠然とした願いを持って入ったのがこの会社。
 
「トラピックス」などの商品で有名な旅行会社
ってのが一般的ですが、
 
この会社の「旅行部門」と並列してるある事業
 
「国際輸送部門」と言われる部に働くことに。
 
「人」を海外に送るのが旅行。
に対して、「荷物」を海外に届ける手配をするのが「国際輸送部門」って
 
説明でいいかな。
 
配属は「神戸支店」
一見、オシャレやんって思えますが、三宮などの繁華街ではなく、
 
六甲アイランドの海を一望できる港湾地区のターミナル(笑)
 
実はこの配属については、会社に感謝です。
 
「関西の出身」で「関西の大学を卒業」した新入社員は
基本的に最初は関東配属に。
 
当時、よくわからないシステムがありました(今はどうなんかな・・)
 
その中で、僕は唯一、例外的に関西に配属されたわけです。
 
学生時代に母親を病気で亡くして、父親が1人になるので、
できれば関西で。
 
そんな意向を会社が汲み取ってくれたのでしょうか。
本当にありがたい話でした。
 
 
さて、配属された部署の仕事の内容は
「通関業」
 
企業の荷物を海外に輸出入する際には税関に申告をする必要があります。
 
その税関への申告書類を作成するのが、通関業の仕事の1つになります。
つまりは内勤です。
 
最初に部署に配属されて教わったことが、
 
パソコンの使い方。
学生時代はアメフトばっかのいわば筋肉バカ。
 
今はスポーツだけでは社会も認めてくれない時代になってると
思いますが、当日はそんな人でも許されたわけです(笑)
 
レクチャーしていただいた先輩社員に
 
「マウスって何ですか?」
 
って質問した時に驚愕の表情をされたのを今でも覚えてます(笑)
 
そんな感じに、前途多難で始まった社会人ライフ。
 
一体どうなることやら・・・。
第二回に続く

プロフィール

お客さまとの出会い、ジュエリーとの出会い、仲間との出会い。日々の心温まる出来事を自然体で綴る店長、越野泰明のブログです。

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